5回目の「どうする家康」、本多正信、服部半蔵と新しい人物が登場、更に物語が面白く展開してきました。
次回も楽しみです。
でも私は4回目の「清須でどうする」の回でいろいろ気になることがあります。その一つが清須城のこと。
清須は私の住んでいる春日井市から割と近いところにあり、過去に一度清須城に行ったことがあります。
その頃はそうでもなかったのですが、最近歴史に興味を持つようになり、清須が重要な場所であることを知りました。
清須城は信長の居城であり、そこから桶狭間の戦いに出陣したり、家康と清須同盟を行ったり、信長の死後清須会議が行われたり、歴史の上でも 重要なお城だったのですね。
小牧長久手の戦いでも、信雄、家康はまず清須城に入っていますね。尾張で一番メインの城だったのでしょう。
また、名古屋の城下町は、家康が清須の城下町をそのまま引越しさせてできました。その頃は、清須は尾張の中で繁栄を誇っていたそうです。でも、清須越しというお引越しが終わってからは、清須は城下町から宿場町と変わっていったそうです。
もっと小中学校の頃に知っていれば、視野がもう少し広がっていたかもしれませんが・・・。
信長の時代の清須城は天守がなかったそうで、ドラマでも広大な館といった感じでした。
今建っている清須城は観光用に作られたものということを、過去に見に行ったときは、知りませんでした・・・。
信長の時代はどんな清須城だったのか、資料がないらしく想像するしかありません。
その頃お城のあった広い場所は、今は東海道線や新幹線で分断されています。
でもその場所は公園となって保存されているようので、まだ良かったです・・・。
再び清須城や、清州古城公園などを見に行き、歴史を偲びたいと思います。
清須のことをもっと知りたくて、また本などを集めたりしています。
(そもそも、清須か清洲かどちらで書いたらいいのかも迷っています。)
清須城は信長が小牧城に移った後、いろいろ城主が変わりましたが、最後は徳川義直だったのですね。その時代には、天守のあるお城だったのでしょうね。
「徳川家康とお亀の方」、名古屋市の図書館で借りました。
名古屋城はお亀の方との子、徳川義直のために作ったそうです。そのあたりのことがコミックでわかりやすく描かれていました。
そもそもいつからお城は天守があるようになったのでしょう。という疑問から、城郭史にも興味を持ちました。 今、関連する本を探しています。
他にドラマの4回目に気になったことは、尾張と三河の境界は境川にすると家康が言っていたくだり、信長が国境のことをあまり気にしていなかったのはなぜかと思いました。
尾張と三河の境にある大学に通っていた頃は、境川のことは単なる川としか認識していませんでしたが・・・。境川も意味のある川だったのですね。自分の無知が悲しいです。
また、ドラマの後に清須の解説があり、「御園神明社」という神社が映りました。
私の通っていた御園小学校(御園座の近く)の名前の由来かと、「御園」も清須から来た地名なのかと知り、ドキッとしました。
ですが、その小学校、間もなく他の学校と統合され、その校名は無くなってしまうことを思い出し、寂しい気持ちになりました・・・。
大河ドラマを観て、「へぇー」と思うことなど、いろいろ調べることが増えているこの頃です。